2012年10月28日日曜日

シンポジウム「民主化」とジェンダー趣旨文(ジェンダー史学会2012年度大会)



 2010年から2011年にかけ、アラブ世界で広く反政府/民主化運動が起こったのは周知の事実である。「アラブの春」と総称されるこうした動きは、東南アジア諸国の一部や中国など、アラブ以外の地域や国々にも影響を与えるのではないかとも言われ、その兆候はあったが政府によって抑え込まれた事例も散見された。
 こうした現代世界における動向は、改めて、「民主化」とは何なのか、という問題に私たちの関心を向かわせる。
 近年、「民主主義」をナショナル・アイデンティティ(あるいは、自己イメージ)の一部に組み込んでいるアメリカ合衆国や、「民主化」されて久しいはずの日本においては、その制度の機能不全が懸念されている。両国において見られるのは、権力の集約の困難と経済的・社会的不安の中で、強権主義的な主張やリーダーが、かえって人々の支持をとりつけるという現象である。これは、ワイマール共和国の経験に似ていないだろうか。
 また、アラブにおける「民主化」運動は、結果として「宗教的保守」勢力に権力を掌握させる可能性を大きくするようにも見える。「宗教的保守」派は、しばしば、異なる意見に対する寛容度が低く、特に女性には厳格な行動枠組みを設定する傾向が歴史のなかで指摘されてきた。これは、「民主化」という言葉で通常私たちがイメージする方向とは逆の結果を「民主化」運動が起こしているということなのだろうか。
 このことは、1830年代にアメリカ合衆国の白人の間で民主主義社会が成立したとき、現代的な観点からすると抑圧的とも言える役割が女性に割り当てられていたことを思い出させる。当時、女性は選挙権を持たず、政治的部外者と位置づけられていた。それにもかかわらず、いや、だからこそ、白人女性は、キリスト教と結びつき、道徳的規律を保持する「道徳の守護者」という役割を通じて、民主主義の維持に欠くべからざる役割を負うはずであった。民主主義が、自分勝手な欲望の暴発、無政府状態にならないよう、その成員各個人の自己抑制を涵養することを、白人女性は期待されていた。その役割は白人女性の権力の源泉でもあったが、また、白人女性自身が「自己犠牲」の振る舞い―現代では窮屈としか言いようがないような―を体現せねばならなかった。
 現代アメリカで政治的影響力を増している宗教右翼は、このようなかつての役どころに再び女性を回収することを主張し、フェミニズムに敵対する。
 本シンポジウムでは、アラブ世界をはじめとする、今日の「民主化」運動は、何を目指しているのか、運動におけるヘゲモニックな潮流は、女性と男性にそれぞれどのようなジェンダー役割を振り与えようとしているのかを問う。さらに、女性たちは「民主化」運動のなかで、どのような女性固有の要求を実現しようとしているのかも考えてみたい。このような問いを発する際、「女性たち」のなかにも、様々な、ときに、するどく対立する要求が存在する可能性についても留意する必要があろう。シンポジウムを通じ、「民主化」の意味について、ジェンダーの観点から思索が深められることを期待したい。

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